緘黙の底/山岸凉子
218 名前:緘黙の底 1 投稿日:04/06/30 14:15 ID:???
吉岡彩子は産休の先生の代理として、S市立第一小学校の養護教諭を勤めており、
キスだけで一線を越さないような清い関係だが、五年のクラスを担当する関谷と付き合っている。
関谷はスピード違反で免停中なので、デートの時は彩子が車に乗せている。

性教育の講師をするため、性器図やメダカの交尾図を机の上に広げる彩子。
そこへ頭が痛いと訴え入ってきた五年の香取恵は、性器図を見てクスリと笑った。
顔色は確かに悪いが、反抗的で落ち着かない態度の恵は、最近転校してきたばかり。
父子家庭のため放っとかれており放浪癖があり、すぐに授業を抜けると聞いた。
恵はベッドの上でしばらくもぞもぞとした後、もう治ったと言って保健室を飛び出した。

関谷の両親に紹介される日のために、服を新調しに行った彩子。
そこで恵が補導されているのを見て、恵は自分の妹だと偽り助ける。
恵を車に乗せ、家へと送る。そこには酔った様子の恵の父がいた。
彩子は恵の父の声にぎょっとする。酔っ払いのダミ声はどれも同じに聞こえる…
車から降りて父に手を引かれた恵は、助けを求めるように彩子を見つめていた。

またある日、恵は頭が痛いと保健室にくる。近頃の小学生はストレスも大きい。
悩みがあるのなら聞くと言う彩子に、悩んだ末に恵は口を開きかけるが、
彩子に会いに関谷が来たので逃げてしまう。保健室でサボる事を覚えたのかと関谷は怒る。

夜中、彩子は遠い昔の夢を見る。
逃げて!早く逃げるのよ!
姉の叫び声。泣きながら逃げていく幼い自分。
目覚めて暑さに窓を開けると、机に置いていた、性教育に使う性器図が床に落ちる。
何故今更こんな夢を見たのだろう。自分のような人間が性を教育しようなんてしたからだろうか?
――これを見て笑ったのは誰だったろうか。恵の顔を思い出し、彩子は恐ろしい事を考えつく。
そんな事は有り得ない。しかし、姉も昔、頭が痛いとよく訴えていた………

219 名前:緘黙の底 2 投稿日:04/06/30 14:18 ID:???
恵が万引きしているのを見つけ、彩子は父親のもとへ連れて行き叱ろうとするが、逃げられる。
翌日恵は学校を休んだ。関谷は心配して家に電話をかけるが、誰も出ない。
母が関谷に話しかけてくる。以前彩子は家に来た時、両親は早くに死に、自分は一人っ子だと言った。
しかし、結婚を前提に付き合っている息子のため、関谷の母が調べてみると、
彩子には姉がいるとわかった。そして、両親が早くになくなったというが、それも変だと……
関谷は姉がいるのかと彩子に問うが、彩子はどうしてそんな事聞くのと目を伏せて言っただけだった。


その後四日間も恵は行方不明。探しても見つからず、彩子が家に帰るとドアの前に眠っている恵を見つけた。
クラスメートからお金を巻き上げて、前に通っていた学校の友達の所に行っていたのだという。
恵の父に、見つかったと電話をかけようとする彩子を、恵は必死で止める。
わかったわ。誰にも電話しないから。お父さんそんなに怖い?貴方に暴力奮うの?殴ったり蹴ったりとか
恵は首を横に振る。恵の体には痣など無い。そんな暴力は受けていないだろう。
どうしてお父さんが怖いの?
頭が痛いと言い出し、恵は苦しそうに頭を抱える。

ねえ香取さん。一度だけ言うからよく聞いてね。嫌だったら返事しなくてもいいから。
お父さん、あなたの体に……いやらしい事をするの?

恵は震えだし、ぼろぼろと涙をこぼした。

220 名前:緘黙の底 3 投稿日:04/06/30 14:21 ID:???
彩子は校長や関谷にその事を伝えた。父親はそんな事実はないと主張した。
あの子の虚言です。あの年齢が持つ性への憧れからくる妄想ですよ関谷と校長も否定する。
やめてください!妄想でこんな事言えません。
実の父親に犯されたなど、口が裂けても言えない事です。
よほど特殊な人間だけがそういった事をすると、普通は考えられています。
しかし欲望の前では、ほんの一口のアルコールで易く その一線を超えるのです。
彼らは自分と同等、もしくは上の人間には欲望を感じません。
我が子であるというよりも前に、 あきらかな弱者≠艪ヲ安心して欲望するのです。
己の無力感を晴らすがために…さらに無力な子供をねじ伏せるのです。
親の愛≠ニいう名目で最も手近で無防備な子供を…犯す。
その時、その子供は魂を殺害されるのです……


彩子は親権を犯してまで恵を父親から引き離し、弁護士や児童福祉課を駆け回っていた。
僕はね、香取を彩子先生ほど信じていない。父親じゃなくて自分を犯したのは関谷先生です≠ニ
言ってもおかしくないような子だと思っているんだ。女性の君にはわからないだろうけど、
あの子には挑発的というか、性的なニオイがする。危険な子だったと…関谷は彩子の車に乗りながら言う。

彩子は車をいきなり止め、目に涙を浮かべた。
よくわかるわ。もっとも信頼していた肉親に犯された子は…自分を清い人間だとは、とても思えなくなるのよ。
自分は人間以下のいやらしいモノなんだと思えて…それに見合う人間に自分でおとしめてゆくの。
暴走族に入ったり…男ともずいぶん遊んだ……わたし………関谷はその言葉に驚く。

221 名前:緘黙の底 4 投稿日:04/06/30 14:23 ID:???
彩子には五つ年上の姉がいた。彩子が八歳の時、いつもは自分に無関心な父が、酒に機嫌を良くしながら、
お父さんの膝に乗りなさいと彩子を呼んだ。父の膝に乗せてもらい、彩子はとても嬉しかった。
お父さんはお前が好きだよ、二人でうんと遊ぼうねそう言って父は彩子の体をくすぐった。
はじめは笑って遊んでいた彩子も、父の手が自分の股間に向かっている事に気づき、子供ながら恐怖した。
いい子だね。こういうの好きだろ、お前そう言って、父は八歳の子供に共犯関係を押し付けるのだった。
父の力は強く、彩子は抵抗も出来ない。そこへ、工作用の小刀を持った、当時13歳の姉がやってきた。
逃げて!早く逃げるのよ彩ちゃん!姉は泣きながら小刀を何度も父に突き刺し、彩子は夢中で逃げた。

その後の記憶はない。父は学者だった。母は彩子が三歳の時になくなった。
その時姉は八歳で、母が亡くなった時から、ずっと父に性行為を無理強いされていた。
小刀で人が死ぬわけはなく、父は生き残り事件をもみ消そうとした。しかし、その時姉が父の子を流産し……


姉と私はそれぞれ別の親戚に預けられたわ。父が亡くなったのは、つい三年前。
それまで一度も会わなかったけど、お葬式にだけは行ったわ。姉は来なかった。
姉の捨て身の行動で、私の傷は浅かった…けれど……
何も汚れていないふりをして、貴方と結婚しようとした…わたし…
関谷は車から出て行った。それは汚れた彩子を拒絶しているのかのように思えて、彩子は涙をこぼした。

夏休みが明けた頃、恵は児童福祉施設に行く事になった。産休の先生が帰り、彩子は学校を出る。
臨時教諭として慣れているとはいえ、別れはいつも…特に今回は辛かった。
車に乗る彩子。後ろから、猛スピードで車が突進してきた。運転手は関谷だ。
いい車だろ?免停が解けたので買った。こっちに乗り換えないか?関谷は笑顔で言う。
……そんなスピード………また免停に……彩子は口ではそう言いながら、涙を流した。
関谷が車から去っていった時に流したのとは違う、喜びの涙。



魂を殺害された子は もう一度息を吹き返す事ができるのでしょうか