時間旋律/柳原望
386 名前:時間旋律[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:32:18 ID:???
夕暮れ時 現がゆらめく時間。
古い古い町並みの椿町では思い出したように過去の風景に出会える事がある。
町の人々はそれを幽霊≠ニ呼んだ。

小さな椿町にはもったいない陸上の名門校に東野は特待生としてやってきた。
しかし東野は特待生の自覚を持たず、せっかく類稀なる脚力を持っているのに連日部活をサボっていた。
理事長の孫で陸上一筋の由郎は、サボる彼を部活に出させるために日夜彼を探して走り回っていた。

部活をサボった東野は由郎の祖父が所有する今は古くて使われていない椿館に毎日通っていた。
そこには夕暮れ時だけ、大正時代の少女・カヤが現れるのだ。
足の速さにしか取り得がなく、もし足が使えなくなってしまったら皆に捨てられてしまうのではないかと
恐れを抱いている東野にカヤは「足が遅くなっても東野は東野じゃないか」と言ってくれた。
東野はカヤを抱きしめようとするが、過去の幻影でしかないカヤに触れる事は出来なかった。

統計を取れば原因がわかるのではないかと思い、由郎は幽霊℃膜盾フ調査をしていた。
何故か幽霊≠ヘ椿館を中心にして現れていた。
一年前までは椿館から半径500m以内 月一件弱の発見件数が、半年前にいきなり月10件程度半径1,2km以内に。
そして三ヶ月前からは月20件ほど半径3km以内で目撃されるようになった。
まるで何かが近づけているかのようだと由郎は思う。

幼い頃からの知り合いで陸上コーチの佐々木は、恋人で婦人警官のひさえが来るからと、
ボケ気味の祖父を由郎に預けに来た。ひさえさんを押し倒せないように30分だけねと由郎はからかう。
30分経ち佐々木祖父を連れて行こうとしたら、佐々木は理事長につかまってまだ由郎の家にいた。
「東野は天才です。努力だけでは超えられない壁≠ェそもそもあいつには存在しない」
佐々木は理事長にそう言っている。
それを聞いた由郎は東野に劣等感を抱き、佐々木に顔を合わす気にならず佐々木祖父を連れて外に出た。

387 名前:時間旋律 2[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:36:01 ID:???
すると、椿館の方から塀を越えて椿の花びらが飛んできた。
椿館とは名ばかりで、今はもう椿の花は咲かなくなったのに。
不思議に思って見に行くと、中で東野と着物姿の少女が笑いあっていた。
佐々木の祖父はその少女を見て
「さすが椿町一の別嬪だと名高いカヤさんだ。
 ずいぶん久し振りなのに変わっていない」とつぶやいた。
次の瞬間、その少女は消えた。幽霊≠セ。
「幽霊なんかのために部活をサボっているのか」由郎は訊ねる。
「たかが駆けっこよりあの子の方が大事だ」と東野は答え、由郎は傷ついた。
類稀なる脚力を与えられた東野。選ばれたのは由郎ではなく東野。
それならば東野は走らなくてはいけない。
東野はカヤに会う時、塀の穴の空いた部分から椿館の敷地に入っている。
あの塀の穴を塞いでくれと、由郎は車椅子に乗った祖父に頼み込んだ。

数日後、なんで塀の穴が塞がれているんだと東野は由郎にクレームをつけてくるが、由郎は真意を告げない。
そこに徘徊してきた佐々木祖父が現れ椿館を見上げながら
「カヤさんが嫁いだと聞いた時は哀しかった」とつぶやく。
どういう事だと東野は詰め寄るがボケた佐々木祖父は答えなかった。
「じいさんさ、この頃よく口走るんだって。若いころのこと」

塀の向こう≠ナは雨が降っていた。濡れているカヤに東野は上着を投げかけるが、
こちら¢、の物である上着はあちら¢、のカヤには触れる事すら出来ず地面に落ちた。
カヤはここには存在しない過去の幻影。なのに何故東野とカヤは出会ってしまったのか。
越えられない時間という壁≠フ存在を東野は思い知り落ち込み、塀を破壊した。
壊した時に東野は腕に傷を負い、それを見たひさえは「こんな風に痕になるわよ」と自分の手の傷を見せながら言った。


388 名前:時間旋律 3[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:39:40 ID:???
陸上の測定の日。東野の噂を聞きつけた陸連関係者も見に来ていた。
そこで東野はかなりのタイムを出した。
測定が終わると同時に東野は椿館へと向かった。
東野に気付き走ってきたカヤは転び、東野は咄嗟に手を出す。
すると、いつもは触れられもしなかったカヤの手を東野は掴めてしまった。
東野とカヤの目がはじめてあったのが半年前。初めて言葉を交わしたのが三ヶ月前。
そしてその日はじめて触れ合った東野とカヤは、キスをした。

二人が触れ合ったと同時に、椿町のあちこちで幽霊≠ェ大量発生した。
それとまた同時刻に、放火事件が起きた。それが椿町連続放火事件のはじまりだった。

カヤは周太郎という許婚者がいる事を東野に話す。
小さい頃に親によって決められた仲で、周太郎は遠い所にいて長い間会っていない。
その周太郎がカヤの元へ帰ってきた。周太郎はカヤに、上京してそこで式をあげようと言った。
良いタイムを出した東野に陸連関係者は目をつけ、寮があり設備の整った学校に転校させろという。
東野は佐々木と同じアパートに住んでいて、食事の世話もされておらず、椿町には大した設備もないのだ。
しかし東野は、陸上はどこでも出来る、でもカヤは椿町にしかいないからとその申し出を断った。
去って行く東野を見ながら理事長はつぶやく。
「私は時々、自分がやってる事がわからなくなるよ…」

由郎は東野に転校を勧める。
東野とカヤの関係と、幽霊事件の規模の拡大はつながっている。
町がこれ以上騒ぎになる前にカヤと会わないようにしろと由郎は言う。
本当は、東野はカヤを捨てれば陸上を選ぶのではないかと言う思いがあった。

椿町には放火事件が相次ぎ、また、横を見れば幽霊≠ェうろうろしているというとんでもない事態になっている。
幽霊が放火しているんじゃないかという説まで出ているが、やっているのは生きた人間に他ならないとひさえは否定した。
そこへ、現場近くで東野が目撃されたという情報が届いた。


389 名前:時間旋律 4[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:43:28 ID:???
由郎が東野のようになりたいと願うように、東野もどうやっても得られないものを欲しがっている。
「東野、好きなだけじゃどうにもならない事あるんじゃないかな」由郎はそう言う。
「どーにもなんないからって、じゃあやめるって言える? 由郎」東野はそう訊ね返した。

東野は周太郎と話しているカヤに声をかけ、手を引いて外に連れて行く。
周太郎は驚くが、カヤの母に、カヤが幽霊(あちらからは東野側が幽霊扱い)を
面白がってるだけだと言われたので後を追わなかった。

東野はカヤと共に椿館の外に出る。
現代ではコンビニのあった場所に古めかしい建物があった。
それを不思議に思っていると「火事だ!」と声が聞こえた。
手を離して声のする方を見ると、また火があがっていた。
東野がカヤの方をふりむくと、そこにカヤはおらず、古めかしい建物も消え元のコンビニがあるだけだった。
手を離したために戻ってしまったが、さきほどまでは確かに東野はあちら≠ノ居たのだ。
手を離してさえいなければ…
東野はとぼとぼとアパートに帰る。アパートの廊下には佐々木祖父がいた。
どうしたのかと東野が話し掛けると、佐々木祖父は東野を振り払い、睨み、去っていった。

由郎は、幽霊事件は椿館から広まっているようだと祖父に言う。
「花をつけなくなった椿の見る夢かな。お前のお婆ちゃんは椿がとても好きな人だったから。
 椿が昔を懐かしがって夢を見るんだ。あの人の……カヤの…」
カヤが自分の祖母と知り由郎は衝撃を受ける。しかし祖父は周太郎という名前ではない。
「椿家に入る時、名前を変えたことがある。その前は周太郎と名乗っていた時もあるよ」と祖父は言った。

椿館の女主人は椿を愛した人だった。その人が死んだ時、椿たちは花をつけるのをやめた。
そうして椿たちは夢を見る。自分達が花をつけていた時を。自分たちを愛したその人の姿を。
夢は 時間のヴェールを揺らした。

東野は放火事件の犯人ではないかと疑いをかけられたが、動機も証拠も不十分としてとりあえずは釈放された。
由郎はカヤが自分の祖母であり、カヤは周太郎と結婚したのだと東野に告げた。
東野は投げやりになり、放火事件の事で「これ以上その町に置いておかない方がいいから早く転校しろ」
と言う陸連の言葉を承諾する。

390 名前:時間旋律 5[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:46:45 ID:???
東野は駅に直行し、由郎と佐々木が見送りに来た。佐々木祖父は理事長に預けられた。
佐々木の話によれば、生前の由郎の祖母――カヤに理事長は「幸せですか」と口癖のように訊ねかけ、
カヤもまた習慣のように「はい」と答えているところを見たことがあるのだという。
「あの子ははい≠チて答えたんだな…」時間は思いを無視してただ流れていくだけなのだと東野は思う。

一方あちら≠ナは東京行きの汽車に乗るために周太郎が伽?を呼び出しているところだった。
しかしカヤは行きたくないと最後に抵抗した。
カヤ母は「ただの感傷ですわ」と大した事と扱わず、周太郎に先に駅に行くよう言う。
周太郎は、カヤの手を引いていた幽霊≠フ男の事を気にかけていた。

佐々木祖父はふらふらと徘徊し、椿館の前でライターを取り出した。
理事長はそれを追い「何をしている」と訊ねた。
「あの時椿館が燃えていた。それきり伽?さんはいなくなった。
 もう一度火事になればきっとあの時に戻れる。
 私は今度こそカヤさんを引きとめるんです」
理事長は言う。「それで納得するなら火をつけなさい。周太郎さん」

椿館に火がついているのを東野は見る。
椿館がなくなれば全部終りになってしまう。本当に全てが幻だった事になる。
東野は電車が来たのにもかまわず椿館へと走り、炎の燃え盛る椿館の中に飛び込んだ。
燃え落ちた木材が東野の足をはさむ。そこへ、椿の幽霊≠ニともにカヤが現れた。
カヤは足をはさまれ倒れている東野を起こす。その途端、火のついた木材は消えうせた。
東野があちら側にたどりついたために、こちら側のものである木材が消えたのだった。
あちら側へと消えていく二人に「カヤさん!カヤさん!」と佐々木祖父は叫び続けた。

火事は火の幽霊≠ニしてあちら側でも騒ぎになっており、周太郎はカヤを心配し駅から椿館に戻ってきていた。
周太郎に近づこうとする佐々木祖父を阻んだ理事長は、尚も向おうとする佐々木祖父によって服の袖を破られた。
「どうしてすぐに来なかった!どうして置いて行ったりしたんだ!理由を確かめる事さえせず…
どうして…あの人がいつも自分の物だなどと思っていたんだ……!」
佐々木祖父は周太郎に向かいそう叫ぶがあちら≠フ人々は消えていく。

391 名前:時間旋律 6[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:48:11 ID:???
理事長は佐々木祖父に言う。
「気が済みましたか?もう火をつけなくても大丈夫ですね周太郎さん」由郎はその言葉に驚く。
火事を聞きつけやってきた警察に理事長は、放火犯は東野だと言った。
なにを言っているんだと由郎は驚く。
「いいんだ由郎。もう二度と帰ってはこないから」
そう言う理事長の破れた袖から覗く腕には、東野が塀を破った時につけたのと同じ傷があった。
「おじいちゃん…まさか……東野?」

392 名前:時間旋律 7[sage] 投稿日:2005/05/16(月) 09:50:30 ID:???
火事の幽霊で町中が大騒ぎになった隙を見て、
あちら側に行った東野とカヤは汽車に乗り町を出た。
理事長――東野はそう由郎に説明する。
「どうしてあの時 自分は周太郎だなんて言ったの?」
「お前からあの子がそう聞けば、もしかしたらあの子は行くのを諦めるかと思ってね」
戦争のどさくさに紛れて戸籍を手に入れるために、東野は犯罪まがいの事もやった。
許されてこの町に戻るまで何年もかかった。
何より、あの時から歩くのにも足を引きずるようになり、
守りたいと思っていた人にずっと手をひいてもらわねばならなくなった。
「もう一度自分にあった時、ふと思った。もしこっちを選ばなければどうなっていただろう と」
カヤは佐々木周太郎中尉の奥方として皆に羨ましがられただろう。
東野はその脚力で幾つもの大会を勝ち抜けただろう。
しかし、その心の内は――
「それで…がっかりした? せっかく邪魔したのに結局あっち行っちゃって」
「……うれしかった。ひどく、うれしかったよ」
由郎の問いに東野はそう答えた。

世間では放火犯の少年Aが失踪したという事になっていた。
佐々木は、どうせ失踪するなら足だけ置いてってくれれば自分が走るのにとうじうじする。
ひさえは自分の手の傷を佐々木に見せる。その傷は、鏡を割ってつくった傷だと言う。
学生時代ひさえには好きな人がいたが、美人の女の子に取られてしまった。
顔ばかりはどうにもならなくて、ひさえは悔しくて思わず鏡を割ってしまったのだ。
「だからとゆーわけではないんだけど、そうやって悩んでる佐々木くんが一等好きだったりするのさ」

東野は一人、火事によって跡形も無くなった椿館を眺めていた。
「椿もみんな焼けちゃったね」由郎が話し掛ける。
椿が焼けてからは、幽霊の目撃談が一つも無い。
椿が昔を懐かしみ、夢を見る事がなくなったからだ。

椿町に幽霊が出ることは、もう、二度となかった。

<完>